研究者の希望を尊重してくれる大学だから「プラズマの技術を社会に生かしたい」とより思えた
京都工芸繊維大学の博士課程在籍中だった2002年、田口さんは革新的なプラズマ装置で知られる「株式会社魁半導体」を大学発ベンチャー企業として設立されました。起業を目指しての入学だったそうですが、この大学を選ばれたのはなぜでしょうか?
田口:大学院入学以前の私は関西の半導体メーカーに勤めていたのですが、当時の上司がいくつか大学を推薦してくださったなかの一つが京都工芸繊維大学でした。惹かれたのは、先生と学生との距離の近さ、大学としての温かな雰囲気です。他大学での学部時代からプラズマ研究をしていたのですが、以前、京都工芸繊維大学の先生と学会でお話させていただく機会があり、「開かれた大学だな」という印象を持っていました。そのイメージは、入学後から現在に至るまで変わりません。また、異なる専門を持つ専攻同士の連携も盛んで、分野に固執することのない体制で研究が進められているのも魅力の一つ。さまざまな発想の機会があって、研究者にはとても良い環境だと思います。
会社員として働いていた田口さんが起業を目指されたきっかけは?
田口:私のサラリーマン時代は、「技術者の冷遇」という問題が社会的にクローズアップされていた時代でした。たとえば、青色LEDの発明で「2014年度ノーベル物理学賞」を受賞された工学博士の中村修二先生が、会社の冷遇に対して法廷闘争を行ったケースが有名ですが、日本では「技術立国」と謳われる一方、技術者よりも彼らを雇う人々のほうが優遇されている状況があったんです。私自身、勤めていた会社でなかなか技術者のモチベーションが上がらない状態を目にしていたので、「なんとか技術者が生きやすい会社、頑張った人がきちんと認められる環境をつくれないものか」という思いを抱きました。
そこで会社を辞め、博士課程に入学されたというのがユニークですね。
田口:私が修士課程を修了したころは、進路と言えば、まだ「就職」という選択肢しかありませんでした。ただ、社会人になってすぐ「起業ブーム」が起きて、社会が多様化し始めます。既存の企業に飛び込むのではなく、技術者が正当に評価される会社を自分でもつくりたいと考え、きっかけを掴むために博士課程へ入りました。また、学部時代からプラズマを用いた薄膜形成の技術研究を行っていて、その応用範囲が広いということを知っていたので、この技術を社会に生かしたいという願望も持っていましたね。
そもそもプラズマとは、どのような現象だと理解すればよいのですか?
田口:分子の周囲には電子が存在しますが、「プラズマ状態」とは平たく言うと、分子からこの電子が離れ(電離し)、不安定になった状態のことを指します。電子を失い、不安定なプラズマ状態にある分子は、身近な原子や分子の電子を奪ったり、共有したりすることで、安定した状態になろうとする。つまり、化学反応が起きやすくなるわけです。通常の状態では起こらない化学反応を起こすプラズマの技術を、バイオの世界など未開拓の領域にも応用したいと考えました。
「起業をしたい」という思いは、大学ではどのように受け止められましたか?
田口:私が師事した先生は、「こんなことを考えています」と言うと、「自由にやってみなさい」とおっしゃるような、学生の希望を尊重してくださる方でした。おかげさまで自分の興味関心に忠実に、研究開発に邁進できましたね。独立心が強い自分には、この研究室の環境がとても肌に合っていたんです。その一方、いざ起業する段になったときには、研究開発費の獲得を援助してくださるなど、先生たちのバックアップが非常に充実していました。こうした周囲の支えをいただきながら、入学の翌年にあたる2002年、当時28歳の自分を唯一の社員として魁半導体はスタートしました。
たった一人からのスタートだったのですね。起業後にぶつかった葛藤はありましたか?
田口:葛藤とは違いますが、起業から3?4年経ったころ、自分の考えるベンチャー企業像と、周囲の考える企業像とのギャップにぶつかったことはあります。私は、ベンチャー企業によくある夢のような技術やアイデア一本の勝負ではなく、そこに社員が食べていけるだけの利益を生み出す「飯のタネ」も並走させたいと考えていました。「夢のタネ」と「飯のタネ」という複数の車輪で経営するのが、日本の伝統的なものづくり会社の企業経営のスタイル。たとえばパナソニックや、京都で言えば堀場製作所もそうですが、必ず「飯のタネ」があって、それゆえの研究開発がある。それと近いものを目指していたのですが、周囲にイメージが伝わらず、苦労しました。実際に、起業した当時に「こうしたニーズがあるだろう」と思い描いて始めた事業は、うまくいったとは言い難いのです。経営が安定したのは、きちんとお客さんのニーズを聞き、それに応えるものづくりをはじめたあとのことです。
その転換点となったのが、2006年に発売したはじめての自社製品「卓上真空プラズマ装置」ですか?
田口:ええ。当時、プラズマ技術は主に半導体やディスプレイの生産に使われていたのですが、それを行うための装置は非常に高価で大型でした。その点に目をつけて発売したのが、「卓上真空プラズマ装置」です。これは1000万円を超えていた装置を数十万円で買えるようにしたもので、現在まで安定して売れ続けています。この装置をきっかけに、プラズマ技術を使えるという認識のなかったバイオや医療の分野など、各所から引き合いをいただけるようになりました。
なぜ専門的な装置を、低価格で提供しようと考えたのでしょうか?
田口:プラズマ技術はバイオや医療のほかにも、自動車や食品など、さまざまな分野に応用できるものです。にもかかわらず、なぜいままで普及型の装置がなかったかというと、従来のプラズマ処理装置は非常に多くの機能を持っていたんです。私の製品開発のコンセプトは、機能を限定することで、価格の低下を図ることにありました。つまり、あえて機能を絞ることで、シンプルな装置でもこと足りる分野に応用の可能性を広げたかったのです。
用途を限定したことで、活躍の場面が広がったとは面白いですね。2010年に発売された「大気圧粉体プラズマ処理装置」は、「京都府中小企業優秀技術賞」も受賞されていますが、開発のきっかけは何だったのでしょう?
田口:発想のきっかけは創業2年目に、大手自動車メーカーから「炭素の粉体をプラズマ処理してほしい」と依頼を受けたことにありました。しかし当時は実現ができず、「どうやったらできるか」をつねに頭の片隅で考えていたんです。そして5年後、一人で別の製品の研究をしていた際に、偶然にも解決方法が頭に浮かびました。世界初の技術だったこともあり、製品化したところ、たいへん良い反応をいただけました。
一般的にはどういった分野に使える装置なのでしょう?
田口:最近ですと、リチウムイオン電池の電極剤をつくる場面。このプラズマ処理装置を使うことで、電極の生産過程に必要な中間剤を減らすことができるんです。近年はドローンや電気自動車のように、電気で動かすものへの期待が高まっていますよね。またスマートフォンや、時計やメガネの形態をした装着可能なウェアラブル?デバイスのように、電池を使う身近な日用品が増えています。こうした製品へのニーズは今後もますます高まるはずなので、装置の可能性もそれに応じて広がります。
とても夢のある装置なのですね。
田口:現在では展示会を継続的に行い、ご来場いただいた方々の声を拾うようにしているのですが、「大気圧粉体プラズマ処理装置」へのニーズを教えてくれたのも、まさにお客さまでした。はじめは失敗していたものの、要望に応えようとし続けたところから道が開けた。私がものづくりから経営まで、すべてにおいて心掛けているのは、失敗や疑問、問題点があったとき、かならずその改善案を考えてトライすること。ルーティンワークは決まった対価しか与えてくれませんが、改善案を考えて可能性を広げる人は得られるものも大きいと思っています。それは修士課程時代から現在まで、私の信念です。
広く興味を持った学生は、われわれ研究者の常識を超えた能力を発揮する
大学発のベンチャー企業で良かった点はありますか?
田口:創業から数年間は大学内に会社を置いていたのですが、困ったときすぐ横にご意見を伺える方々がいたのは大きかったです。それはもちろん先生という意味でもありますが、国立大学の法人化への動きもあり、大学自体が「自分たちの知的財産を生かそう」「採算性も確保しないといけない」と意識を変えた時期でもありました。何かあったときに頼れるチャンネルが身近に多くあるのは、安心感につながっていました。
今後、大学との共同の取り組みは行っていくのでしょうか?
田口:技術の専門機関である大学には、企業にはできない基礎的な原理現象の解明をできる良さがあります。その研究に参加すると、開発の効率化もできますし、知的資産の保護の度合いを高めることもできる。その意味で、大学とがっちり組んで研究を行うことは、企業にとってビジネスを優位に進めるチャンスにもなり得ます。プラズマ技術が先にあり、基礎研究がそれを追いかけている分野もありますが、基礎研究での成果が製品に生かされることもある。開発をするうえでこの二つの車輪を持つことは重要だと思いますので、今後も積極的に関係性はつくっていきたいですね。
田口さんは京都工芸繊維大学で教鞭も取られています。若い研究者の印象は?
田口:より広い興味を持って、研究をする人が増えていると感じます。私の時代は、他の分野は見ないで専門領域に没頭する人が多かったのですが、最近の研究者はプレゼン能力やコミュニケーション能力も高く、軽やかに他分野の方と交流をして、夢を語ることができている印象です。また、学生と関わるなかで良いと思うのは、彼らがわれわれの常識を超えた発言をどんどんしてくれること。「経験がイノベーションを阻害する」とよく言われますが、実際、状況がわかるにつれて夢は語りにくくなるものです。良い意味でまだ経験の少ない学生の発言は、企業の人間にとって示唆に満ちています。
今後の会社としての目標を教えてください。
田口:一つの目標は、5年後、10年後の単位で、プラズマ技術を使った一般消費者向けの製品を出すことです。企業や研究所だけでなく、より身近にこの技術を広めていきたいと考えています。一方、会社の方向性としては、「頑張りたい人が頑張れる場所をつくる」という創業時の思いを大切にして、社員に熱心にやりたいものがあれば、経営状況の許すかぎり、できるだけ挑戦してもらえる会社にしていきたいと思います。
具体的な動きもあるのでしょうか?
田口:海外に向けて積極的に営業したいという社員がいるので、プラズマ製品を皮切りに好きな製品を売ってみたらどうか、と話しています。これまでも海外に製品を売ってはいたのですが、意識的にではなく、結果として売れている状態でした。それを能動的に売り始めたのが最近の動きです。日本のプラズマ技術を世界に広げるために、他社の製品も積極的に扱っていく予定です。
日本のプラズマ技術が世界に広がっていくのを想像すると、ワクワクしますね。
田口:私はいまも、日本の一番の強みは「ものづくり」だと考えています。低コストの生産拠点ができるなど、海外の存在感は高まっていますが、ロボット技術をきちんと成長させることができれば、いずれ日本と海外の地理的なコスト差はなくなるでしょう。その時代に備えて、地道なものづくりを続けていくことが大事だと思います。温かな京都工芸繊維大学にきっかけをいただいたこの会社を通し、これからも多くの方の役に立てる技術を発信していきます。