所属 | デザイン?建築学系 |
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氏名 | 三宅 拓也 助教 |
期間 | 令和4年4月8日-令和4年10月15日 |
滞在先 | ブリュッセル自由大学(VUB) |
令和4年4月から10月までベルギーにあるブリュッセル自由大学(VUB)の建築工学部に滞在しました。
ベルギーは1831年にオランダから独立して誕生した比較的若く、そして九州ほどの大きさの小さな国ですが、欧州の十字路に位置するこの領域には、周囲の大国とさまざまに関わり、翻弄されてきた長く複雑な歴史があります。それは、国土の北部では主にオランダ語が、南部では主にフランス語が、そして東端の一部ではドイツ語が主に使用されていることからも窺い知ることができます。
こうした地域的?言語的環境にあるベルギーの首都ブリュッセルは、国土の北半に位置するものの歴史的にフランス語話者が多く、公用語としてはオランダ語とフランス語の併用地域となっています。EU関連機関やNATOの本部を擁する欧州の政治的中心地であるため英語も一般的に使用され、さらには欧州内外からの移民も多いため、ブリュッセルの街中ではさまざまな言語を耳にします。道で出会う人々や、街中に点在するさまざまな国や地域の食材店の多様さからも、ブリュッセルが国際色豊かな多言語?多民族都市であることを感じます。
左:ブリュッセルの中心にある市庁舎前の広場グラン?プラス右:ブリュッセルの街中にある標識は全て多言語表記
1834年に設立されたブリュッセル自由大学の歴史は、ベルギーの歴史や言語状況と深く関わっています。独立時、15世紀に遡るルーヴェン?カトリック大学(カトリック系大学としては世界最古)などいくつかの大学がベルギーにありましたが、ブリュッセルにはそれがなく、自由な学問を謳う進歩的な憲法下で新しい大学の設立が企画されました。そうして開校したのがブリュッセル自由大学です。大学名に含まれる「自由」は、政治や宗教の権威からの影響を受けない自由な探求の原則を示しています。
設立当時、ベルギーの公用語はフランス語のみであったため、講義はすべてフランス語で行われていましたが、1935年からは法学部の一部でオランダ語が使用されるようになり、1963年になって全ての学部がフランス語とオランダ語の2言語に対応するようになりました。しかし1960年代のベルギーは、フランス語話者とオランダ語話者の間で、言語を基軸とする対立が社会的に激しくなっていた頃でもあり、1969年にブリュッセル自由大学はフランス語のUniversité Libre de Bruxelles (ULB)とオランダ語のVrije Universiteit Brussel (VUB)に分割されることになります(ちなみに、先述のルーヴェン?カトリック大学も1968年にオランダ語とフランス語で2つの大学に分かれました)。
ふたつの大学に別れたとはいえ、VUBとULBの関係は深く、共同プログラムも多く実施されています。なかでも、両大学が共同主宰するBrussels Faculty of Engineering(BRUFACE)という英語のみで実施する修士プログラム(ジョイント?ディグリー)は、その中心的な存在です。私が所属した建築工学部もこれにプログラムを提供しているため、修士課程は英語で開講されていました。さらにいえば、建築工学部ではVUB?ULBの学生ともに基本的には全員が大学院へ進学するため、建築工学専攻の修士教育の準備段階としての位置付けから、学部最終年度である3回生の後期から、英語によるULBとの共同教育が実施されています。
建築工学部では、受入教員となっていただいたStephanie Van de Voorde教授が指導する博士課程の学生とオフィスを共にしました。建築史?建設史を専攻する教員や学生彼とは日常的に研究について意見交換する機会に恵まれました。別のオフィスでは専門の異なる研究者(教員、客員研究者、ポスドク研究者、博士課程学生)が活動していますが、オフィス間の垣根は低く、研究者同士で頻繁な交流があります。建築工学部のフロア内はガラスで間仕切られているため同僚や学生の様子を感じられ、オープンな大小のミーティングスペースでは、気軽に打ち合わせやゼミを行うことができるようになっています。教員や院生の分け隔てなく、昼食を共にしたりするなかで、お互いの教育や研究についても議論することができる風通しのよい環境があり、多くの刺激を受けました。
建築工学部での研究者間の交流を促している取り組みとして、「Friday Forge(金曜ゼミ)」と呼ばれる合同ゼミがあります。これは2週に1度、学部に属する全ての研究者のなかから1名が自身の研究について20分程度の発表をおこない、それを題材に全員で議論するものです。国外からきている研究者もいるため、発表や議論には英語が使われます。私も滞在中に発表する機会をいただきました。この取り組みは、研究者間の交流はもちろん、専門外からの目に晒されることで、研究への横断的視点を確保したり、競争的資金に応募する研究計画をブラッシュアップしたりする役割も果たしているようです。実際に、私が最初に参加した回で発表した同室の学生の研究が、競争的資金を獲得したという嬉しい知らせがありました。
左:建築工学部のオフィスとスタジオの間にあるミーティングスペース右:建築工学部のオフィス前にある小さなミーティングスペース
ブリュッセルの建築といえば、グラン?プラスを取り囲む中世の市庁舎や近世のギルド?ハウス、あるいは19世紀末の華麗なアール?ヌーヴォーの邸宅群などを思い浮かべるかもしれません。しかしながら、1958年の万博開催に象徴されるように、ブリュッセルが欧州の首都としての役割を担っていくなかでおこなわれた建設によって、優れた戦後建築も生まれました(一方で、歴史的街区の無秩序な開発は、ブリュッセリザシオンという言葉も生み出しました)。1960年代末の分割後に新しくキャンパスを建設したVUBは、ブリュッセル中心部からバスで20分程の場所に位置する緑に囲まれたキャンパスを持ち、そこにはベルギーの戦後建築界を牽引した建築家による鉄筋コンクリート造の近代建築が立ち並んでいます。竣工から半世紀近くが経ったこうした建築物は改修の時期を迎えているわけですが、建築工学部ではその現場をまさに教育や研究の場として活用しています。
例えば、ブリュッセル首都圏の記念建造物に指定されているRenaat Braem設計の本部棟は、修士1回生向け演習科目「Structural Renovation Technique(構造改修技術)」において、フォトグラメトリの技法を用いた歴史的建築物の3Dモデル作成を学ぶ実践の場としていました。Willy Van Der Meerenの設計によるプレファブ?モジュール式の鉄筋コンクリート構造ユニットによる学生寮は、EUの支援を受けた産学連携の研究プロジェクトの一環で、大量の廃棄物を出さずに再利用?改修するための様々なシナリオを検証?実施するサーキュラー?リノベーション?プロジェクトの事例として使用されています。改修プロジェクトには学生も多く参加し、一連の経過はサーキュラー?デザインを研究する学生の博士論文の対象事例として詳細な分析がなされるなど、身近なキャンパス内での実践を通して、先端的な教育研究が展開しています。
一方で、キャンパスが位置するブリュッセルという都市そのものも、VUBの重要な教育研究のフィールドになっていました。ブリュッセルの国際性と多文化性は、VUBの大きな強みとして位置付けられています。国際的な教員?学生が、ブリュッセルを拠点に内外のパートナーや企業、産業界と連携して教育?研究に取り組むことをサポートしているのが、weKONEKT.brusselsというプラットフォームです。これは、VUBとULBが連携して展開しているもので、ブリュッセルのコミュニティと教育?研究の結びつきを強化する取り組みです。これを通じてブリュッセルに備わる科学的専門技術や知見が学生?教員?研究者に提供される一方で、毎年3月の特別週間には市内各地で公開授業やゲストレクチャーなどが提供され(非公開で通常授業を市内で実施するというものもある)、大学と地域コミュニティが双方向の交流が活発に行われています。
大学の公的行事を都市のなかで積極的に展開する点も、大学と都市の深い連携を感じます。9月に行われた新年度の始まりを告げる会合は市内の歴史的建造物で挙行され、10月に行われた博士学位授与式は世界遺産になっているグラン?プラスで盛大に催されました。それはブリュッセル全体がキャンパスであるようでした。現在、キャンパスの隣接地区では、20世紀初頭の憲兵学校施設の一帯をVUBとULBが共同利用する国際的かつ革新的でサスティナブルな大学都市としてリノベーションするUsquare.brusselsというプロジェクトが進行しています。完成後には上記の取り組みのさらなる充実が期待されています。
普段の生活のなかでEUなどの国際機関の活動に触れるブリュッセルでの教育や研究は、日常から国際的な議論へと接続されています。都市やキャンパスもまた先端的な教育研究の現場であり、身近な実践が国際的な議論や政策へと反映され得る環境は、学生や研究者に大きな刺激と意欲をもたらしているようでした。
左:Renaat Braem設計による本部棟(1974-1978)右:本部棟内部でのフォトグラメトリ実習
左:Willy Van Der Meeren設計による旧学生寮(1972-1973)右:旧学生寮の改修プロジェクトで生まれたサーキュラー?レトロフィット?ラボ
スーパーグローバル大学創成支援事業助成による海外研修という貴重な機会を与えていただいたことに感謝いたします。研修を受け入れてくださったブリュッセル自由大学(VUB)の教職員や学生の皆様、ブリュッセルでお世話になった皆様、そして研修に関するさまざまな手続きを助けてくださり、研修中の不在をサポートしてくださった本学の教職員や学生の皆様に心からお礼申し上げます。最後に、滞在中の日常生活を支えてくれた家族に感謝します。