所属 | 材料化学系 |
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氏名 | 岡田 有史 助教 |
期間 | 平成30年4月2日-平成31年3月28日 |
滞在先 | ローレンスバークレー研究所(米国) |
私が2018年4月から2019年3月(予定)まで滞在しているのは米国カリフォルニア州バークレー市にあるのローレンスバークレー国立研究所です。これまでにポスドク時代を含めお世話になった豊田工業大学 吉村雅満教授からのご紹介で、この研究所のマテリアルサイエンスディビジョンのMiquel B. Salmeron教授の研究室でお世話になっています。
まず、私が滞在したバークレー市について書かせていただこうと思います。
バークレーはアメリカ大陸の西海岸に位置し、大きな入り江であるサンフランシスコ湾を囲むように存在している都市群(ベイエリア)の一つです。湾の入り口にサンフランシスコがあり、バークレーはその対岸、湾の奥側(イーストベイ)にあります。ベイエリアは公共交通機関が発達していて、サンフランシスコからはバスやウーバー、バート(地下鉄)を使って行くことになります。ベイブリッジに沿って対岸まで渡るとオークランドという都市があり、そこから少し北上するとバークレーに着きます。イーストベイにはアメリカの長距離鉄道であるアムトラックが走っており、はるか南のロサンゼルスや、はるか北のシアトル、はるか東のシカゴといった町へ行く列車を見ることができます。バークレーには、北は州都サクラメントから南はシリコンバレーのサンノゼまでを結ぶ路線の列車が停車し、少しお金はかかりますが、週末遠出するのに不自由することはありません。バークレーで最も有名なのはカリフォルニア大学バークレー校で、世界ランキング上位に名を連ねています。バークレーには日本人研究者のコミュニティがありますが、私はコミュニティ自体には全然関わることができませんでした。しかし現地で偶然、同じアパートに日本人の先生がいらっしゃいまして、そのご縁からバークレー校に留学されている先生方との大変貴重なつながりができ、様々な情報交換ができた上、食事会やドライブ等にお誘いいただきました。非常に感謝しております。こうした機会は大事にしなくてはならないと思う次第です。バークレー校は住宅地から少し奥に入った丘の麓から中腹にかけて広がっており、さらにそこから丘を上がると研究所になるという位置関係になっています。ビジターを含む研究所のスタッフはバートのダウンタウンバークレー駅の前から職員用のシャトルバスに乗って所内に入ります。晴れた日は研究所から麓の町や対岸のサンフランシスコが良く見え、特に朝夕と夜は絶景です。私が到着した初日は4月にもかかわらず真夏日でしたが、翌日から肌寒くなりました。ここバークレーは海岸以外を山に囲まれているからか、日本に比べて夏は非常に涼しく、冬は暖かい気候です。日照時間には変動があり、サマータイムが実施されます。夏は起きるとすでに明るく、夕方は明るいうちに仕事を終わる感じでしたが、冬は起きるとまだ暗く、帰宅する頃には日が暮れています。また夏になると何カ月も雨が降らず連日快晴で空気が非常に乾燥し、山火事が多発します。日本では自然災害といえば地震と水害ですが、ここアメリカ西海岸では何と言っても山火事です。研究所の中には山火事の危険度を5段階にして表示したボードがあり、最も危険度が高い日は屋外で熱を使う作業が禁止になります。私の滞在中、ヨセミテ国立公園に入る道が山火事のため閉鎖されたことがあり、その後11月にカリフォルニア州の南北で大きな山火事が発生しました。後者は特に北部の方がひどく、煙がベイエリアに流入して、1週間ほど町中が焦げ臭く、見通しも悪いという状態になりました。町のドラッグストアやホームセンターからはマスクが消え、多くの人が防塵マスクで歩いていました。アメリカ西海岸に限った話ではないかもしれませんが、こうした乾燥する気候の町に長期滞在する場合は防塵マスクを少し持っておいた方が良さそうです。
バークレーに住むにあたり私が最も驚いたのは住宅事情です。近年、バークレーに限らずベイエリア全体の話になるかもしれませんが、IT系の人々が進出してきているらしく、家賃が高騰の一途をたどっているようです。もちろんベイエリアではサンフランシスコが最も家賃が高いのですが、バークレーも高騰しています。私が住んでいる期間では、1カ月2000ドル(22万円近く)は安い方で、安い物件は市街地から離れたり、古かったり小さかったり、あるいは居住できる期間が合わなかったりするようです。市内のバス通り付近の住宅地ですと、よほどタイミングが合わない限り安い物件に空きは出ず、3000ドル(32.5万円程度)以上の物件ばかりになることもあります。3000ドルというと、日本の賃貸の何倍にも相当します。住む場合は相当の覚悟が必要です。物価も少し高めのように思いましたが、衣料品等はサンフランシスコに行けば安く手に入りますし、サンクスギビング後のブラックフライデーをはじめとするセールが多いので、極端な不自由さは感じませんでした。町には日本食材を扱ったスーパーもありましたが、私は主に現地のスーパーに行って、日本であまり見かけない様々な食材を買っておりました。ワインとビールの種類が非常に多くて全体的に安かったこともあり、食生活で不足を感じることはありませんでした。アメリカは医療費が高いので健康的に暮らすことが重要です。
次に、派遣先の様子についてです。
ローレンスバークレー研究所では、継続的に日本人研究者も滞在しておりますが、私の時はちょうど前任の方が転出された後で、研究室の日本人は私だけでした。研究所のオリエンテーションの際にわかったことですが、そもそも研究所の日本人のビジターは少ないようです。研究所が受け入れているビジター数は1位が中国で過半数、3位が韓国で、日本はランク外でした。そういえば町でも日本人を見かけることは少ないように思いました(私が住んでいる場所や出かける時間帯にも関係していると思いますが...)。私が滞在している研究室は中国の方は少ないのですが、近くの研究室では大半が中国の方ということもあるようです。滞在先の研究室のSalmeron教授はバークレー校の講義も担当しておられます。私の派遣先での教育活動については事前にお知らせしていてご理解いただいており、到着翌日から早速バークレー校での大学院の授業の見学をさせていただきました。アメリカの大学の授業スケジュールは日本と半年違いますので後半の半期分でしたが、アメリカの大学の授業を実際に見ることができ、日本との違いを実感することができました。まずなんといっても教員と学生との距離が近いです。日本では講義室は後ろから埋まっていく感じですが、アメリカでは前の方から着席する印象です。教員は教卓の後ろにいるのではなく、教卓の前に立って話をすることがあります。講義中の質問も活発で、講義が終わったら何人も学生が質問に行きます。そのため教員はなかなか講義室から出られないことも多いようです。大学の教育をグローバル化するということは、このような文化も受け入れて行くということなのかな、と思いました。
大学からは、またシャトルバスに乗って戻ってきます。滞在先の研究室では、私の専門である走査プローブ顕微鏡の他、実験室レベルから研究所が持っているビームラインを用いたレベルまでの各種の表面分析法を用いて、先端的な材料の開発や表面?界面の現象の深い理解などを目指して日々研究が活発に行われています。研究所の安全に関する規定は大変厳しく、ウェブベースの研修プログラムや、担当者が直接説明するミーティングがいくつも用意されていて、携わる実験ごとに履修しなければならないメニューが定められています。
私は数年前に走査プローブ顕微鏡の中でも固-液界面を電位制御して分子配列を作る電気化学STM(走査トンネル顕微鏡)を始め、液中観察用の探針の自作や、観察条件の探索をしていて、分子が配列するさまを観察するところまではできたのですが、そこから先の考察が難航しておりました。今回、派遣先の研究所で電気化学STMの装置を使わせていただく機会に恵まれ、私がこれまで培った技術を周囲の人に伝えると共に、自分自身での理解を深めることができました。一人でやっていた時はこれで良いのかと半信半疑でしたが、自分の技術が意外と海外で通用することがわかり、自信を付けることができました。この貴重な体験を今後の教育研究活動に生かして行きたいと思います。
今回の海外派遣にあたり、本学のアモルファス工学研究室の角野広平教授をはじめ様々な先生方にご配慮をいただき、学生の指導その他の各種業務で大きな問題が出ることはありませんでした。ここに深く御礼申し上げます。